写真はアリノオヤリ
Tetraphis geniculata です。 細長い葉が本種のもので、小さな丸まった葉は
ハイスギバゴケです。
本種の属するヨツバゴケ科は、蒴歯が4本という特徴の他、各々の歯が多くの細胞からできていることや、原糸体の一部から扁平な組織をもった第二次原糸体ができるなどの、他の科では見られない特徴を持っています。 しかし蒴柄が「く」の字に曲がっていることも、他種ではあまり見られない“変な”特徴です。 上の写真の蒴はまだ未熟で、特徴もよく現れていませんが、注目したいのは、蒴柄が既に曲がっていることと、その曲がり目を境に、下は赤みを帯び、上は黄緑色と、色が違っていることです。 色の違いは、形成された時期なのか組織なのか、とにかく何かの違いを反映しているのでしょう。
本種の蒴のさまざまな生育段階を比較すると、この後、曲がった所より上の黄緑色の部分が伸びていくようです。
曲がった所を境に異なっているのは色のみではなく・・・
上は帽が取れるのも間近の蒴をつけた蒴柄の、曲がった所の拡大で、右が蒴のある方向ですが、曲がった所から蒴側にはパピラが見られます。 そして蒴柄全体にねじれ模様が見られます。
上は帽が取れるまでに成熟した蒴で、帽をピンセットで引っ張って脱がし、蓋の様子も分かるようにしたものですが、もうひとつ注目したいのは、蒴柄のねじれです。
上の写真は乾いていますので、蒴柄のねじれが強調されていますが、このようなねじれは他の蘚類の蒴柄でも普通に見られます。
上で、乾いているためねじれが強調されていると書きましたが、このねじれは乾湿で変化し、湿ると蒴柄は水を吸って膨らみ、円柱状となって、ねじれは解かれますし、乾くとねじれてきます。 蒴柄の先には蒴がありますから、蒴柄のねじれ運動は蒴の回転運動となります。
一般に蘚類の蒴は、種によって上向きのものと傾いているものがあります。 私なりに胞子散布のしくみを考えると、上向きの蒴は風などで揺らされることで胞子を飛散させ、傾いている蒴は回転運動によって胞子散布の範囲を広げることに役立っているのではないかと思っています。
この考えが正しいとすると、アリノオヤリの蒴柄が曲がっていることも、その生態的な意義が見えてくる気がします。
上の模式図で、緑が胞子体を表しています。 左がアリノオヤリ、右が蒴の傾いた胞子体です。 乾湿による胞子体の回転を考えた場合、図の赤で示したように、アリノオヤリの蒴の方が大きく回転することになります。
アリノオヤリはヨツバゴケ科に分類されていて(
こちら)、蘚類の中では比較的古い形質を持ったコケだとされています。 もし本種の蒴の回転のしくみが生態的に意義のあるものなら、なぜそのようなしくみを持った仲間が増えなかったのでしょうか?
私は次のように考えます。 コケ植物の多くは、小さな体を寄せ合い、密集して暮らしています。 そうすることで、密集した集団の隙間に水分を蓄える事ができます。
上がアリノオヤリの群落です。 本種は倒木上でよく見られますが、上もそのような場所で、密な群落を作り、たくさんの蒴をつけています。 このようなたくさんの蒴があると、互いに邪魔し合って、蒴の回転運動は不可能になってしまいます。
つまりアリノオヤリは、いろいろ工夫して蒴柄を途中で曲げてみたものの、胞子散布の方法という生殖戦略と、水分保持という生存戦略のミスマッチの結果、あまり繁栄できなかったコケではないでしょうか。
(材料としたアリノオヤリは、2019.9.14.に北八ヶ岳でみつけたものです。)